「ピースクラフツSAGA」は認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)が実施する佐賀の伝統工芸を支援するプロジェクトです。

つくり手

川上清美さんが人生の紆余曲折を経て達した唐津焼の境地

川上清美さんは唐津焼の陶芸家です。特に焼物に精通した男性ファンが多く、ピースウィンズ・ジャパンへのふるさと納税の返礼品でも異彩を放つ作品がラインアップされています。自身の70年以上に及ぶ人生を振り返りながら、唐津焼への思いを話してくれました。

ふるさと納税の返礼品にもなった力強い唐津焼

力強い。川上清美さんの唐津焼作品を一目見たときに抱く感想です。ピースウィンズ・ジャパへのふるさと納税の返礼品にも選ばれた「絵唐津の茶碗」を見ても然り。ロクロ成形の確かな腕を感じさせるばかりか、微妙に歪められた口辺部や赤い土の持ち味が力強さの源となっています。顧客の9割以上が男性というのも頷けます。「寄り道の多い人生でした。でも自分の引き出しの多さにつながっていると思います」と、70歳を迎えた川上さんは自らの人生を振り返ります。長崎県出身の川上さんは、上京して大学進学と就職をしますが、「何かやり残したことがあるんじゃないかと思って落ち着かなかった」という気持ちから1年で退社します。

人生の目標をものづくりに定めた川上清美さん

川上さんはアルバイトをする傍ら、図書館でいろいろな本を手に取るうちに、焼物の本を眺めて興味を持ちました。ようやく「自分がしたいことは、ものづくりだ」と気づいたのです。30歳を迎える頃、愛知県瀬戸市にある窯業訓練校に入学。焼物の基礎を1年間学び、全国の焼物産地をいろいろと知る中で、「自分は唐津焼をつくる」と心に決めました。「古唐津は、朝鮮陶工によって発展した焼物ですが、一方で美濃焼の様式を積極的に取り入れてきました。例えるなら朝鮮の焼物には月光のようなはかない美しさがあり、美濃焼には日光のようなハツラツとした美しさがあります。唐津焼は両方を併せ持っている点に惹かれました」。

40歳で晴れて独立し窯を構える

窯業訓練校を出た後、唐津焼の窯元で2年間修行しますが、「仕事の術があまり身につかないので、一度、唐津市を抜け出そう」と思い立ち、岡山県へ。今度は備前焼の窯元で4年間職人として働きました。唐津市に再び戻ると、田中佐次郎さんの窯元で修行を始めました。1年半を過ぎた1988年、「窯を譲りたい」と田中さんから申し出があり、40歳で晴れて独立し、窯を持ちました。独立した頃を川上さんは思い返します。「まるで“女唐津”とでも言うべく、唐津焼が品良くおとなしくなったと感じていました。だから自分は“男唐津”をつくろうと決め、個性を前に出して、誰が見ても川上清美の作品だと分かる作品を目指しました」。

50歳を境に唐津焼の作風をガラリと変える

川上清美の作品=力強いという評価がだんだん付くようになりました。しかし50歳を迎えた時に開いた個展で転機が訪れます。「思わず立ちすくむほどの迫力を目指したので、1週間在廊していたら自分の作品がやかましく感じてきたんです。だから50歳を境に引き算の造形をするようになりました。ところが60歳になると封印していたものが解き放たれるように、自分の個性を自然体で出せるようになったんです」。作品づくりにおいて、川上さんは海で拾った流木や貝殻、石ころなどをインスピレーションにすることが多いと言います。「あとは四六時中、唐津焼のことを考える。すると夢の中で、神のお告げのようにヒントが浮かぶ」と楽しそうに話します。

弟子を育てることも積極的に行う

川上さんは作品づくりのほか、弟子を育てることにも力を注いでいます。これまで取ってきた弟子は7人。一度に1人ずつ、3年預かり、弟子が独立できる力をつけさせます。「自分も先人の技術を学んで受け継いできたのだから、次に受け渡すのが自分の役目」という考えがあるためです。また土や釉薬のつくり方についても、川上さんは弟子に秘密にせず、すべて情報公開をするのが流儀。「情報公開をしておくと、弟子の方からも何か情報を教えてくれます。とにかく弟子が伸びることが大事。弟子が良い仕事をすれば、お尻に火がついて自分も伸びるんです。若手が育てば、唐津焼の未来も明るくなるのではないかと思います」。

(文:杉江あこ/意と匠研究所、取材写真:藤本幸一郎、商品写真:ハレノヒ)

公開日:2018年1月18日
 
更新日:2020年2月6日

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