「ピースクラフツSAGA」は認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)が実施する佐賀の伝統工芸を支援するプロジェクトです。
つくり手

土平窯の藤ノ木土平さんが目指す唐津焼は創作原点となった火焔型土器

土平窯の藤ノ木土平さんはピースウィンズ・ジャパンへのふるさと納税の返礼品でも人気の高い唐津焼の陶芸家です。子どもの頃に感銘を受けた創作の原点や永遠のテーマ、そしてものづくりの姿勢についてお話を伺いました。

ふるさと納税の返礼品でも人気の陶芸家

「自分で使って楽しい、心地良い、使いやすい器をつくるようにしています。まず自分自身が楽しめないといけない」と静かに話す土平窯の藤ノ木土平さん。工房と同じ敷地に建つ自宅や庵(茶室)からは丁寧な暮らしぶりが伝わってきます。ふるさと納税の返礼品にも選ばれた「斑唐津の抹茶碗」は、両手で包み込めるほどの小ぶりなサイズと奇をてらわない形でありながら、高台にかけてポタリポタリと藁灰釉が不規則に流れ落ちた様子には、なんとも温かで優しい雰囲気が満ちています。普段の暮らしの中で、お茶を点てて楽しんでいる藤ノ木さんの姿が目に浮かぶようです。

土平窯を築くまでの道のり

新潟県に生まれ育った藤ノ木さんは、東京で働きながら油絵の勉強をした後、佐賀県唐津市へと移住しました。唐津焼の道へ進んだきっかけは、九州へスケッチ旅行に出かけたこと。屋久島、種子島、鹿児島本土、熊本県などを巡った後、唐津焼の窯元で窯場の雰囲気をスケッチするため、1週間逗留したそうです。そこで自分自身も土を触ってみると楽しくなり、「じゃあ、焼物をやってみるか」との思いに至りました。元々、油絵を描いていた頃から工芸への興味があり、唐津焼や李朝白磁が好きだったと振り返ります。

唐津焼からいったん離れることで達した境地

藤ノ木さんは唐津焼の窯元で3年間修行した後、今度は岐阜県土岐市に移り、美濃焼の茶陶作家、加藤芳右衛門さんの下で2年間修行を積みました。「当時、唐津焼の泥臭い感じがなんとなく鼻に付いて、もっと洗練された焼物を学びたいと思ったんです。鉄分が多くて荒い土の唐津焼とは違い、美濃焼の土は白くて繊細で、洗練されているように見えたんですね。今はそれぞれに良いところがあると思えます。美濃焼を学んだことで、結果的に唐津焼に対して新たな捉え方ができました」。

土平窯を結婚と同時に築く

1980年、藤ノ木さんは30歳になると唐津市に戻り、結婚すると同時に、奥様の実家があった土地に土平窯を築きました。独立した頃は経済的な余裕があまりなく、半年くらいは新聞配達をしながら作陶を続けたと言います。現在、土平窯では1年に6回は登り窯を焚き、1回は穴窯を焚いて、作品づくりに勤しんでいます。穴窯は11日間かけてゆっくりと焼く方式で、燃えた薪の灰を被ることで出来る自然釉の焼物には何とも言えない風情があると言います。藤ノ木さんは「早朝に1人で集中して仕事をしたいから」と、朝3時には起きて仕事をする生活を続けています。「焼物は死ぬまでできる仕事」と快活な姿はずっと変わりません。

藤ノ木土平さんの永遠のテーマは太陽と月

藤ノ木さんが創作の永遠のテーマとしているのが太陽と月。「太陽は人間にとって最も大切なもので、月は太陽に相対する存在」」というのが理由です。例えば天使のような羽を付けた「太陽文の壺」など、実に自由で伸びやかな発想を持っています。実は藤ノ木さんの創作の原点は、縄文土器の一種である火焔型土器。「新潟県中魚沼郡にある実家の近くに白羽毛(しらはけ)遺跡があり、小学生の頃に資料館で火焔型土器を見ました。1万年前につくられていたなんてすごいと思った感動が、頭の中にずっとあります。自分も火焔型土器に負けないものをつくりたいと思いました」という気持ちを大人になった今も持ち続けているそうです。

(文:杉江あこ/意と匠研究所、取材写真:藤本幸一郎、商品写真:ハレノヒ)

公開日:2018年1月30日
 
更新日:2020年6月7日

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