「ピースクラフツSAGA」は認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパン(PWJ)が実施する佐賀の伝統工芸を支援するプロジェクトです。

つくり手

李荘窯の寺内信二さんが有田焼の技と表現を手本にした初期伊万里

有田焼/李荘窯

李荘窯は古典の写しを基礎としながらも、新しい有田焼の表現を追求することで知られる窯元です。ピースウィンズ・ジャパンへのふるさと納税の返礼品でもお馴染み。代表取締役の寺内信二さんに築窯から現在までの歩みを伺いました。

李参平の住居跡に築窯された李荘窯

有田焼は、安土・桃山時代の文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)の際に、朝鮮半島から多くの朝鮮陶工が日本に渡ってきたことから始まります。朝鮮陶工のひとりが、後に有田焼の陶祖として崇められる李参平です。時は流れて明治時代末期、瀬戸と常滑で陶彫の指導を行っていたひとりの陶芸家が、工芸指導者として有田に招へいされ、窯を開きました。場所が李参平の住居跡だったことから、李荘窯という名が付けられました。李荘窯の初代は工芸指導のかたわら、磁器彫刻をつくっていたと言います。2代目以降は、当時の有田焼の花形だった業務用食器の生産に携わるようになり、徳利や珍味入れ、盃などを主につくってきました。

寺内信二さんの気持ちが変わった正月での出来事

4代目の寺内信二さんは18歳で上京して武蔵野美術大学で工業デザインを学び、東京の商社に数年勤めて商品開発に携わった後、有田町へ戻ってきました。家業を継いだ当初は「有田焼は工業製品独特の冷たい感じがして、あまり好きにはなれなかった。もっと人の手の温もりが感じられるものをつくりたいと考えていた」と振り返ります。ある時、小中高校時代に同級生だった縁で親しくしていた十四代今泉今右衛門さんの自宅へ正月に招かれる機会があり、豪華な珍味でもてなしを受けるとともに、初期伊万里の皿と対面しました。

初期伊万里の皿に学んだ有田焼の魅力

「1600年初頭の初期伊万里の皿でした。展示品として見る機会はありましたが、自分の手に持って間近で見るのは初めて。形も絵も稚拙なつくりだったんですが、何とも言えない温もりを感じられて大変衝撃を受けました。魅力に取り憑かれると同時に、自分の中で有田焼への理解が深まっていきました」。そして窯や家の敷地内に、李参平をはじめ昔の陶工たちが残した陶片が散在していることに気づきました。陶片をよく観察すると、有田焼の技の変遷が見て取れました。何よりも寺内さんが心を惹かれたのは「約400年経っても色褪せることのない、染付の青だった」と言います。その青は、後に李荘窯の染付の発色基準となりました。

李荘窯が大きく注目された「珠型五段重」

以来、寺内さんは初期伊万里様式に近づこうと、独学でロクロ成形から絵付までを習得。古典の写しを基礎としながらも、徐々に新しい有田焼の表現を追求するようになりました。李荘窯が世間から注目された商品のひとつに「珠型五段重」という球体の重箱があります。元々、これは2011年正月に百貨店「伊勢丹」がおせち料理と重箱をセットにして発売した商品で、日本料理店「六雁」がおせち料理を手がけ、李荘窯が重箱の開発に携わりました。これまで磁器で球体をつくることは難しいとされてきましたが、コンピューターの3Dソフトで型を設計し、モデリングマシンで切削して型をつくることで、より精度の高い球体づくりに成功しました。

ふるさと納税の返礼品でも好評の「鎬」シリーズ

同じく革新的なものづくりをしたのが「鎬(しのぎ)」シリーズの食器です。鎬とは器の表面に連続して縦溝を刻む伝統技法ですが、寺内さんは鎬を現代的に解釈し、手作業だけでは表せないきめ細かな縦溝のデザインを同様のデジタル技術を活用して実現しました。いずれもふるさと納税の返礼品にラインアップされています。また、世界の一流シェフとのコラボレーション企画など、寺内さんは有田焼を国内外へ発信するための様々な活動にも精力的に関わっています。2017年には複数の窯元で立ち上げたレストラン向け食器のプロデュース会社、ARITA PLUSの代表にも就任。産地の歴史を背負いながら、広い視野を持って、新しい有田焼の表現を探る日々を送っています。

(文:杉江あこ/意と匠研究所、取材写真:藤本幸一郎、商品写真:ハレノヒ)

公開日:2018年8月14日
 
更新日:2020年2月6日

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