「ピースクラフツSAGA」は認定NPO法人ピースウィンズ・ジャパンが実施する佐賀の伝統工芸を支援するプロジェクトです。
つくり手

江戸時代初期創始の窯を率いる十五代酒井田柿右衛門さんが語る仕事と日々の暮らし

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柿右衛門窯は、380年以上にもわたり有田焼を牽引する由緒ある窯元です。日本で初めて赤絵の技法を生み出しました。「濁手」(にごしで)と呼ばれる温かみのある白磁に、左右非対称の構図で繊細に草花などを描く様式は「柿右衛門様式」と呼ばれています。柿右衛門窯の美しい器はピースウィンズ・ジャパンのふるさと納税の返礼品としても高い人気を誇ります。当代である十五代酒井田柿右衛門さんは、平成26(2014)年に襲名。柿右衛門の伝統を糧に団栗(どんぐり)や唐梅文などの新しい図案にも挑戦されています。今回は、当代の日々の暮らしやこれからの柿右衛門窯についてお話を伺いました。

柿右衛門窯は分業制。構図や図案を考えることは当代の孤独な戦い

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「柿右衛門窯は初代より、職人が分業制で焼き物をつくる体制を踏襲しています。その中でも、構図や図案を考えることが当代の最も重要な仕事。その後の生地づくり、窯焚き、絵付けなどの工程はすべて職人が担っています」。構図や図案を考えるときは雑念なく取り組みたいと話す柿右衛門さん。時には朝早くから自分専用の部屋に籠り、ひたすら墨で図案を描く「墨描き」に没頭することもあるそうです。
「わたしは作家ではないので、自分が新たにつくり出した作品と、いわゆる窯作とを区別して考えることはほとんどありません。十三代、十四代など歴代の柿右衛門が生み出し、人気が高かったものが窯作になる。わたしがつくり出すものも次の代に窯作になってほしい、そんな想いで仕事に向かっています」と柿右衛門さんは語ります。
「柿右衛門様式を現代のライフスタイルにふさわしいハイレベルな作品として世に出すことがわたしの使命だと思っています」。職人さんがそれぞれの専門領域で最高の仕事に力を注ぐ技能集団の柿右衛門窯ならではの言葉です。

多様な食文化を体感することも新しい発想に必要

有田焼_15代柿右衛門4 柿右衛門窯/松竹梅文半酒器
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「元来、食いしん坊ということもあり、食文化に興味をもっています」。柿右衛門さんは食文化への興味についても多く語られました。現在の日本には、和食、洋食、中国料理に加え、東アジアの料理など、多様な食文化があり、器づくりにも活かしたいと考えられているようです。「実際に外食するときには『この料理を盛るにはどんな器がふさわしいか』をついつい考えてしまいますね(笑)」。
柿右衛門窯の磁器は、江戸時代中期からオランダの貿易会社、東インド会社を通じてヨーロッパに輸出され、ヨーロッパの磁器製作に大きな影響を与えました。当時の王侯貴族も高く評価しています。
「コロナ禍以前は、縁の深いオランダを拠点にヨーロッパ各地の窯元を訪ねたり、文化に触れたりすることも多かったですね。とりわけ、日本とは違う食文化には大きな影響を受けました。地元料理を食べることもヨーロッパに行ったときの大きな楽しみです。食事中に新たな発想が生まれることもあります」。柿右衛門窯では茶器も多く、アフターコロナでは、東アジアにも赴き、茶文化も学びたいと思っているそうです。「食器は使われるための器。食器をつくるときは余白の美を意識しながら料理との調和を大事に考えています」と語る柿右衛門さん。これから生まれる柿右衛門窯の器が楽しみです。

家業を継ぐのは当たり前と思っていた子供時代

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「母から、自分が生まれたとき、職人たちが駆けつけて大きな声で万歳三唱をして恥ずかしかったと聞きました。父、十四代から直接家業を継ぐようにと言われた記憶はないのですが、子供のころから自分が十五代になるのだという意識はありました。小学生のときによくある『なりたい職業』の作文についても『決まっているのに何を書けばいいのか』と疑問に思って悩んだり。周囲の育て方が上手だったんでしょうね(笑)」。柿右衛門さんは懐かしそうに話します。
「父は家族での食事中も寡黙で、会話らしい会話をしたことがなかったです。初めて向き合って話したのは17歳のとき。日本画を学んだことが今の仕事に活かされていると聞き、自身の進路も美大の日本画専攻に決めました」。その後、柿右衛門さんは有田に戻り、ひとりの新入りとして朝8時前の掃除から修行がスタート。「土こね、ろくろ、絵付けと技術はすべて職人から学びました。父からは全く教えてもらっていないですね。実地で職人から学ぶ以外、技術上達の手段はないと父は考えていたのではないでしょうか。柿右衛門の精神、器づくりの意味は父の姿勢、作品などから大いに学びました。精神と技術の両方を受け継ぐことが窯の当代にとっては重要なことだと思います」。
現在、小学6年の息子さんがいらっしゃる柿右衛門さん。「息子には十四代と違うわたしなりの方法で家業を継ぐことを意識させたいと考えています。そろそろ少しずつでも土に慣れさせようと手廻しのろくろを買ったのですが、なかなか触ろうとしないんですよ。話している感じだと継ぐ気はあるようなのですが・・・。ただ、少し前までYouTuberになりたいと言っていたので油断はできないですね(笑)。実はわたしもときどきYouTubeで最近始めた海釣りのチャンネルを見たりしているので、息子がいないときに見なければと思っているところです(笑)」。ご家族の話をする十五代柿右衛門さんはすっかりお父さんの顔になっていました。

変えてよいもの、変えてはいけないものを教えてくれる江戸時代からの1,000個の土型

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個展や工芸展などに出品するときには必ず新作をつくる柿右衛門さん。「同じ題材、テーマでも構図や図案を新たに考えるのですが、作品づくりで悩んだときには窯の倉庫に足を運びます。倉庫には江戸時代からの歴代の柿右衛門がつくった土型が1,000個ほど保管されています」。土型は同じ規格のものを量産するときに必要な成形道具です。「現在の型は石膏でつくられることが多いですが、土型は粘土を素焼きしてつくるもので、数百年の保管が可能です。成形に使ってもすり減ることがありません」。
「倉庫の土型には年号と人銘が書かれていて様々な型があります。それらの型を参考にして大きさを変えたり、つまみをつけてコーヒーカップにしたりと新たな作品が生まれることもあります。歴代の柿右衛門がわたしを新たな世界へ導いてくれているようです。土型は、柿右衛門窯の財産。当代として変えてはいけないものと変えてよいものを教えてくれるのが土型でもあります。襲名してからの土型も倉庫に眠っています。百年、二百年後の柿右衛門がどう感じるか、歴史の一端を担うものとして気が引き締まる思いでつくっています」と柿右衛門さんは強く語ります。

二百年後を見据えて。新しい柿右衛門スタイルを生み出したい

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十五代として、大切にしていることを伺うと「十六代に高いレベルで窯を繋ぐことが責務だと思っています。そのためには何が必要でどう行動すべきかを模索している日々です。コロナ禍以前は、個展に来られるお客様や窯をご贔屓にしてくださるお客様との交流が新たな作品づくりのヒントになることが多く、コロナ禍では(交流がなくなった分)少しモチベーションが下がってしまいました。コロナの前とアフターコロナは大きく世界がかわるように思います。個人的には、特に食文化がどう変化していくのか注目したい。新たな食文化に対応した器を提案し、日本以外の方々にも喜んでもらいたいと考えています。伝統は、時代、時代に対応してきたからこそ、続いているのだと思います。連綿と続くもの、変わらないもの、変わってはいけないものを大切にしながら時代が求めるものをつくる、それがこれからのわたしのテーマです」。新しい柿右衛門スタイルを生み出したいと語る柿右衛門さんの口調は穏やかですが、強い意志と想いが感じられました。

公開日:2022年7月22日
 
更新日:2022年7月22日

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