「ピースクラフツSAGA」は認定NPOピースウィンズ・ジャパンが実施する佐賀の伝統工芸を支援するプロジェクトです。

佐賀の伝統工芸

佐賀の伝統工芸

佐賀の伝統工芸には、400年以上の歴史を誇る有田焼や唐津焼をはじめ、織物、和紙、ガラス工芸、家具などがあります。江戸時代まで肥前国(ひぜんのくに)を治めていた佐賀藩鍋島家が産業を保護し奨励したことが発展の大きな要因です。現代に息づく代表的な工芸品を紹介します。

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有田焼

有田焼

有田焼は、約400年前、朝鮮陶工が佐賀県有田町の泉山で陶石を発見し、日本で最初に焼いた磁器が始まりです。現在、有田町とその周辺に約150カ所の製造所があり、料亭や旅館に向けた食器、家庭用食器を生産しています。乳白色の素地に日本画風の絵が描かれた「柿右衛門様式」、青い絵具で素朴な絵、または鮮やかな色や金彩で豪華な絵が描かれた「古伊万里様式」、赤、黄、緑の3色を基調に細やかな絵が描かれた「鍋島様式」の3つの伝統的な表現があります。

伊万里焼

伊万里焼

伊万里焼は伊万里市大川内地区で生産される磁器のことで、有田焼とは区別して呼ばれます。江戸時代初期に佐賀藩が開いた製造所「御用窯」が始まりで、赤、黄、緑の3色を基調に細やかな絵が描かれた「鍋島焼」がつくられました。幕府などへの献上品に用いられた鍋島焼は、現在「鍋島様式」と呼ばれ、伝統的な表現として息づいています。江戸時代に伊万里港から積み出され、欧州に輸出された磁器が「伊万里焼」と呼ばれましたが、現在の伊万里焼とは異なります。

尾崎人形

尾崎人形

尾崎人形(おさきにんぎょう)の起源は、鎌倉時代の蒙古襲来までさかのぼります。神埼市の尾崎地区に住み着いた帰化人が、生活雑器を焼くかたわら、余った陶土で鳩笛をつくって吹き鳴らし、故郷をなつかしんだと言われます。現在は高栁政廣さんが技術の保存に努めており、素朴で味わいのある作風に人気が再燃しています。伝統的な鳩笛をはじめ、十二支土鈴、「カチガラス」や「相撲取り」「赤毛の子守」などユニークな人形をいくつも生み出しています。

唐津焼

唐津焼

唐津焼は、安土・桃山時代に唐津市の北波多地区で焼かれた生活雑器が始まりです。文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)以降、朝鮮陶工がもたらした技術により発展を遂げました。現在、唐津市内に約70カ所の製造所があります。草木などの素朴な絵が描かれた「絵唐津」、白濁した表面に黒褐色の斑点が見られる「斑唐津」、白濁色と黒褐色の対比が面白い「朝鮮唐津」など様々な表現があるのが特徴。家庭用食器のほか、茶道具としても人気があります。

黒牟田焼

黒牟田焼

黒牟田焼は武雄市の黒牟田地区で生産される陶器のことで、同市で生産される「武雄古唐津焼」などとは区別して呼ばれます。安土・桃山時代の文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)以降、帰化した朝鮮陶工が陶器をつくったことが始まりです。白濁した表面に青や赤、黒褐色の抽象模様が施された陶器や、草木の絵が描かれた陶器、刷毛で大胆なしま模様をくねらせた陶器など、素朴で温かみのある家庭用食器や花器などがあります。

佐賀錦

佐賀錦

佐賀錦は、金や銀、プラチナ、漆箔を貼った和紙を細く裁断して経(たて)糸に、染色した撚りの強い絹糸を緯(よこ)糸にして織り上げる華麗な錦織物です。江戸時代後期に鹿島藩鍋島家で誕生し、1910年の日英博覧会に出品された際、大隈重信により佐賀錦と名付けられたことから、この名が定着しました。現在は佐賀錦振興協議会などが伝統を守り続けています。竹ベラを使い、一目ずつ追って丹念に織り上げた織物を和装小物やハンドバッグ、名刺入れ、雛人形などの製品にして販売しています。

白石焼

白石焼

白石焼とは、三養基郡みやき町で生産される陶器のこと。江戸時代後期、佐賀藩鍋島家一門の白石鍋島家が伊万里市大川内地区から陶工を呼び寄せ、白い陶器をつくらせたことが始まりです。さらに京都から陶工を招き、野菊や蘭など季節の風景画を描く京風の表現も生み出しました。現在も家庭用食器や花器などを中心に、刃先で連続した削り目模様を付ける「飛び鉋(かんな)」や、白濁した表面に赤や青で表現した抽象模様などの個性的で味わいのある表現が見られます。

武雄焼

武雄焼

武雄焼とは、武雄市で生産される陶磁器の通称。現在、武雄市内には90数カ所の製造所があります。安土・桃山時代の文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)以降、帰化した朝鮮陶工が始めた「武雄古唐津焼」を起源とする製造所と、有田焼と同じ磁器を焼く製造所とに大別されます。前者は形や模様が多彩で、緑と黒褐色で松を描く「二彩唐津」や、素地とは異なる陶土で模様を描く「象嵌(ぞうがん)」、表面を縮れさせる「梅華皮(かいらぎ)」などの技法があります。

名尾手漉和紙

名尾手漉和紙

名尾手漉和紙は、江戸時代の元禄年間に名尾地区の耕地が少ない山地で、農家が営む副業として発達しました。最盛期には100軒以上の和紙工房が軒を連ねるまでに広まりましたが、現在は名尾手すき和紙を残すのみとなりました。原料である梶の木の栽培から、手すきによる紙製作までを一貫して行っています。博多祇園山笠や京都・祇園祭の提灯紙を手がけるなど、日本各地の伝統行事にも深く関わっています。近年は文具や扇子などの製品作りを行いながら、伝統を紡ぎ続けています。

鍋島緞通

鍋島緞通

鍋島緞通は、江戸時代の元禄年間に日本最古の綿緞通(敷物)として誕生しました。精巧なつくりで趣があったことから、佐賀藩鍋島家が生産を奨励し、御用品としました。現在もその技術は受け継がれており、木製織機を使い、綿糸を一目ずつ追って丹念に織り上げます。綿製なので肌触りが大変良く、高温多湿な日本の風土に適しています。耐久性に優れ、100年以上使用することも可能。座布団サイズから畳サイズまで様々なサイズがあり、伝統文様から現代文様まで色柄も多彩です。

西川登竹細工

西川登竹細工

西川登竹細工は、明治時代初期に武雄市の高瀬地区で農家の副業として始まりました。農業や漁業用品、日用品としての需要が高まると、一時は一大竹細工産地へと成長。現在はわずかな事業者が技術を受け継いでいます。竹材から細く割いて竹ひごをつくり、しなりを利用しながら竹ひごを手で編み込んで製品に仕上げます。近年は素朴な風合いに人気が再燃し、籠やざる、弁当箱などの台所製品をはじめ、インテリア製品や装飾品としても好まれています。

のごみ人形

のごみ人形

のごみ人形は、1945年の終戦直後、染織家の鈴田照次が「人々の心に潤いを」との思いでつくった土人形が始まりです。日本三大稲荷の1つ、鹿島市にある祐徳稲荷神社の境内で魔除けや開運人形として売り出し、人々に親しまれてきました。ぽってりと丸みのある形と鮮やかな彩色が特徴で、土鈴を手に持って振ると、カラカラという素朴な音を奏でます。十二支や七福神、この地域の祭事や行事にちなんだ人形などがあります。

肥前びーどろ

肥前びーどろ

肥前びーどろは、吹きガラスでつくられたガラス工芸品です。その起源は江戸時代末期に佐賀藩が設立した国内随一の「精錬方」(理化学研究工場)までさかのぼります。型を一切用いない「宙吹き」と呼ばれる技法の中でも、ガラスの友竿(吹き竿)2本を使って息を吹き込む「ジャッパン吹き」を伝統技法とします。現在、技術を受け継ぐ副島硝子工業では、グラスや皿、酒器などの家庭用器からアクセサリーまで様々なガラス工芸品を生産しています。

肥前吉田焼

肥前吉田焼

肥前吉田焼とは、嬉野市の吉田地区で生産される磁器のこと。安土・桃山時代の文禄・慶長の役(豊臣秀吉による朝鮮出兵)以降、帰化した朝鮮陶工の1人を佐賀藩が吉田地区に派遣し、磁器をつくらせたことが始まりです。肥前吉田焼と言えば、高度経済成長期に大量生産され、全国の旅館や食堂などで愛用された水玉模様の土瓶と湯呑みが挙げられます。今再び若い世代を中心に、この茶器をはじめ、シンプルで使い勝手の良い食器などに人気が高まっています。

浮立面

浮立面

浮立面(ふりゅうめん)とは、佐賀県の南西部に伝わる郷土芸能「面浮立(めんぶりゅう)」を踊る際に使われる鬼の面のこと。合戦を起源とした勇ましい踊りが特徴で、楠や桐でつくられた阿吽(あうん)の面相を一対とします。すごみにあふれることから、魔除けとして家に飾る風習もあります。現在は2事業者が伝統を受け継ぎ、鬼の面を生産する一方で、木彫りの巧みな技術を生かしてかぶとや雛人形、床の間飾りなどを生み出しています。

諸富家具

諸富家具

諸富家具は、佐賀市諸富町を中心とする家具産地で生産される家具のこと。古くから指物大工を中心に木工業が営まれていた地区でしたが、昭和初期以降、交通網が発達すると、筑後川を挟んだ隣の家具産地、福岡県大川市から新たな木工技術が伝わり発展を遂げました。現在、多くの家具メーカーで個性あるデザイン性の高い家具がつくられています。現代の暮らしに合った椅子やテーブル、キャビネット、TVボード、また木製玩具などがあります。

弓野人形

弓野人形

弓野人形は、明治時代に博多人形師の原田亀次郎が武雄市の弓野地区でつくった土人形が始まりです。博多人形の完成された美に満足できず、九州各地で修行した後、江口人形店を創業しました。素焼きした人形全体に白い粉を厚く塗り、ぽってりとした形にして、絵具で鮮やかに色付けします。節句人形や床の間飾り、鳩笛などを生産する一方、京阪神の神社でまつられる面飾り「えべっさん」などの製品もつくり伝統を守り続けています。

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